【偉業の乙女】遠藤エミ選手がSG制覇!これまでの女子ボートレーサーによるSG挑戦の歴史

2022年、ボートレース(競艇)の歴史が大きく動きました。今から70年前、1952年に競艇が産声をあげたときから、女子選手として則次千恵子選手がデビュー。「男と女が同条件で戦うスポーツ」として、その歴史は常に女子も男子も平等な戦いとして紡がれてきました。

しかし、最高峰の戦いであるSG競走において、女子選手はずっと優勝できませんでした。男子選手と女子選手の数の割合が約7:1であるという現状もあれど、それ以上に深刻と考えられていた問題がありました。それが「体力」と「体格」です。

競馬の騎手や競輪のレーサーに比べ、ボートレース(競艇)はとりわけ技術がものを言います。ゆえにこそ、同じ土俵で戦うことができるわけですが、それでも体力と体格は、現生人類では性別によって差異があるのも事実です。

そして、本来は体重が軽いほどスピードが乗るモーターボートながら、同時に一定の重さがないと波にもてあそばれて減速する、悪くすると転覆してしまうというデメリットがありました。

ですが、2022年、1人の女子選手がその常識を覆す偉業を達成したのです。では、どのように問題を解決し、いかなる形でもって戦い抜いたのか。それを達成したのは、どんな女子選手なのか。当記事ではすべて網羅していきましょう。ぜひとも最後までご覧ください。

目次


遠藤エミ(滋賀/4502)が歴史の1ページに名を連ねた

女子ボートレーサーとして初めて最高峰のSG競走を制したのは、滋賀支部に所属する遠藤エミ選手でした。1988年2月19日生まれの34歳。滋賀県蒲生郡日野町の出身ということもあり、生まれ育った故郷でボートレーサーを志した形になります。

姉も元ボートレーサーの遠藤ゆみ選手。その姉のすすめで難関のボートレーサー養成所(当時は「やまと競艇学校」)を受験し、2回目で合格。ただ、養成所時代は決して上手い選手ではなく、養成所リーグではようやく準優勝戦に1度進出するのが精一杯で、勝率も3.92と平凡なものに終わりました。

そんな遠藤エミ選手は、デビューしてから努力に努力を重ね、「湖国のレイクレーサー」というキャッチフレーズが与えられるほどの、滋賀支部の代表的なレーサーになりました。

その先にあったものが、「ボートレースクラシック2022(大村競艇SG)」の優勝、すなわち女子選手にとって初めてのSG競走制覇という偉業だったのです。

先だって触れたとおり、女子選手は男子選手に比べ、体力と体格の面での不利があります。これに加えて、以前よりも騒音が小さいものの、出力がやや控えめなモーターが各ボートレース場で採用されたことで、女子レーサーの武器である軽量による快速が活かしにくくなりました。

「もはや女子選手によるSG制覇は不可能なのか」

そんなムードが漂うなかにあって、今回の遠藤エミ選手の快挙となったわけです。彼女が栄冠を勝ち取った秘訣として、レースにおいては徹底的に他艇の引き波を避けつつ、同時に加速と最高速で負けない女子選手の特性を活かす戦術を追求し、徹底的に技術を磨いた点が挙げられるでしょう。

その成果として、「ボートレースクラシック2022(大村競艇SG)」ではオール3連対で予選1位通過。しかも、開催6日間で2回も6コースになりながら、1着と3着を1回ずつ獲得する超絶技巧を示しました。

「ボートレースには、女も男もない」

この絶対的な原則を、あらためて示してくれたといえるでしょう。


ボートレース(競艇)の歴史で女子選手によるSG制覇が見えた瞬間3選

SG優勝戦の重圧は、もちろん優勝が掛かった大一

2022年、ついに女子選手が新たな扉を開いたわけですが、これまでにSG制覇のチャンスがなかったのかというと、そういうわけではありませんでした。とりわけ、女性の社会進出が顕著になった平成以降は女子選手のレベルも格段に上がり、男子を打ち負かす強者が次々に現れました。

今回の遠藤エミ選手で、女子選手がSG競走で優勝戦に進出するのは通算4回目、かつ3人目の快挙でした。では、残りの3回、どんな2人がSG優勝戦へと駒を進めたのか。それぞれ見ていくことにしましょう。


寺田千恵(岡山/3435)・2001年「グランドチャンピオン決定戦」

2022年4月現在も現役を続けている、岡山支部の寺田千恵選手。彼女こそ競艇の、ひいては女子レーサー70年の歴史のなかで、最初にSG優勝戦へ進出した美しき才媛でした。

1969年4月11日生まれの寺田千恵選手が最大のチャンスに王手をかけたのは、「グランドチャンピオン決定戦2001(唐津競艇SG)」でのことでした。しかも、2022年の遠藤エミ選手と同様に、1号艇での進出です。

「ついに、女子からSGレーサーが生まれるのか」

絶対的に有利なイン戦とあり、女子初のSG制覇の期待が高まりました。

しかしながら、勝利の女神は非常に酷なことをします。寺田千恵選手はここ一番のスタートで後手を踏んでしまい、インの利を活かせませんでした。

結果的に、優勝戦は5着完走。十分に快挙ではあるのですが、心から悔しいレースになったことは間違いありません。

とはいえ、この年の寺田千恵選手は6,721万円もの賞金を稼ぎ、女子選手としては2021年まで続く史上最高記録を樹立しました。さて、2022年は遠藤エミ選手がついに記録を更新することになるのか。これもまた、2022年ボートレース界のメイントピックになるでしょう。


横西奏恵(徳島/3774)・2006年「総理大臣杯」

女子選手による2回目のSG優勝戦進出を果たしたのは、徳島支部の横西奏恵選手でした。彼女は1994年に3度目の受験で養成所(当時は「本栖研修所」)に合格。訓練を受けるなかでメキメキと頭角を現し、女子選手として史上4人目の本栖チャンプの座を勝ち取りました。

さらに、デビュー初戦から2着、2戦目で早々に初勝利と、「天才・横西奏恵」として驚愕をもってファンに迎えられることになります。

そんな横西奏恵選手は、とうとう期待されたSGの優勝戦へと駒を進めました。「総理大臣杯2006(平和島競艇SG)」でのことです。好枠2号艇で迎えたこのレースは、4号艇の中澤和志選手がカドからのまくり一撃を成功させたことで、優勝が手からこぼれ落ちていきました。

それでも、2009年には女子レーサーとして史上初の8点台の勝率を記録し、「横西健在」をアピールし続けます。「いつか必ず横西なら」という期待は、なおもファンのなかでささやかれました。


横西奏恵(徳島/3774)・2011年「笹川賞」

女子選手3度目のSG優勝戦進出も、やはり横西奏恵選手でした。2010年に山崎智也選手と再婚した横西選手は、「笹川賞2011(尼崎競艇SG)」のドリーム戦での夫婦対決という話題を提供。しかも、この開催でも好調に成績を積み重ね、優勝戦をまたも2号艇で迎えます。

今度こその気持ちでコンマ09で好発を決めた横西選手。ただ、1号艇の池田浩二選手は盤石にして揺るがず、差し届かずに失速して6着に終わりました。

このレースには太田和美選手、濱野谷憲吾選手、吉田俊彦選手、峰竜太選手など、2022年現在もSG戦線で活躍する英雄たちがそろっていました。

となると、横西選手も長く現役で戦ってほしい。そんな希望が灯るなか、彼女は2012年12月に電撃的に引退を発表します。まだまだトップクラスとして十分な技量があったため、大きな驚きの声が各所から湧き起こりました。

一方、横西奏恵選手の引退から4日後。夫である山崎智也選手が「賞金王決定戦2012(住之江競艇SG)」を12位からの進出で下剋上優勝を果たし、二重の驚きが業界を駆け抜けることになるのです。


ボートレーサーには夢がある!

2022年現在、日本においても、女性がどんどん社会に出てくるようになり、数多くの職業を選べるようになってきました。

しかしながら、古くからの起業における管理職以上は、そのほとんどが男性で占められている現状に変わりはありません。平均給与の男女格差もまた依然としてすさまじいものがあり、まだまだ海外先進国と比較してその差が埋められたとはいえません。

それはサラリーマン社会の弊害であり、「男は男たるべし、女は女たるべし」という行き過ぎた役割分担の考え方、先入観、伝統、あるいは偏見が根強かったゆえの悲劇ともいえるでしょう。

ですが、これからジョブ型社会になるにつれて、性別などは関係なく、「どんな仕事ができるのか」「どんな成果を出せるのか」で収入が決まるようになっていくと見込まれています。

ボートレーサーという職業は、すでにそれを実現しているスポーツです。女子選手でも日本国内で数千万円を稼げますし、産休育休も自己責任でとることが可能です。

遠藤エミ選手や寺田千恵選手や横西奏恵選手といったレジェンドレーサーたちは、それが決して机上の空論ではなく、実現可能であることを示してくれた先駆者といえるでしょう。

これからさらに女子選手の養成所への挑戦、卒業、ならびに技量の向上が進めば、より「SGに女子が出るのなんて当たり前」になっていくかもしれません。

こうした意味合いにおいて、遠藤エミ選手が2022年最初のSG競走を制し、全選手の獲得賞金ランキングで第1位に躍り出た事実は、とてつもなく大きな意味をもった歴史的イベントだったと語り継がれていくことでしょう。


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