【名選手】東都のエース・濱野谷憲吾選手は2021年に見事によみがえった

「濱野谷憲吾選手、14年4ヶ月ぶりにSG競走を制覇!」

刺激的な言葉が、真夏の日本列島を駆け巡りました。ボートレースファン、そして「競艇」のころからのファンも含めて、驚きと喜びが席巻したといえるでしょう。東京支部の濱野谷憲吾選手は、現役ボートレーサーのなかでもひときわ特別な存在だからです。

約1,600名いるボートレーサーにあって、特別な存在という濱野谷憲吾選手はどのようなレーサーなのか。いったいどういう理由から、干支の一回り以上ぶりのSG制覇が騒がれるのか。この記事では、濱野谷選手の実像に迫っていきます。

目次


濱野谷憲吾選手とはいったいどんな選手なのか

濱野谷憲吾(ハマノヤ・ケンゴ)選手は1973年11月8日生まれ。2021年9月下旬現在、47歳のベテランレーサーです。出身地は東京都で、所属も東京支部。今なおA1級に在籍し、トップレベルでの競走を続けてくれています。

そんな濱野谷憲吾選手には、さまざまな「語り草」ともいえる属性が紐付いています。東京支部において、とりわけ輝く存在である異名の多さ、そしてその大きな理由のひとつに触れていきましょう。


濱野谷憲吾選手は「東都のエース」「ファンタジスタ」「ムテキング」!

若いころからすばらしい活躍を見せ、東京支部のヤングスターとしての道を歩み始めた濱野谷憲吾選手。世田谷区立新星中学校(現在は世田谷区立三宿中学校に統合)を卒業後、本栖研修所(現在は福岡県柳川市に移転して「ボートレーサー養成所」)に入所。1992年5月に平和島競艇場でデビューすると、翌年9月には同じく関東地区の戸田競艇場で初優勝を飾ります。わずか19歳10ヶ月での快挙でした。

1996年には競艇界最高峰のSG競走である全日本選手権にあっせんを受け、いきなり3回の1着を固め打ち。同時に、1日2走で2回とも転覆失格するというド派手なパフォーマンスで、いよいよ全国での知名度が高まりました。

さらに翌年の1997年の秋、桐生競艇場の周年競走である赤城雷神杯で優勝し、G1初優勝を達成。3号艇3コースからのまくり勝利は、まさに濱野谷憲吾選手の真骨頂です。驚くべきことに、加えて翌年の1998年には全日本選手権でも優勝。SG初制覇まで駆け抜けました。今度は3号艇5コースからのまくりブチ抜き勝利。ファンが増えるのも当然です。

それから2007年まで、SG競走やG1競走での優勝歴を積み重ね、名実ともにトップレーサーとして成長していきます。甘いマスクで元祖イケメンレーサーとして女性ファンからの絶大な支持を受け、「東都のエース」「水上のファンタジスタ」「ムテキング」などと多種多彩なニックネームをつけられました。

ただ、近年最後のSG勝利だった2007年の総理大臣杯の優勝戦。「艇王」と呼ばれた植木通彦選手が1号艇1コースからコンマ01のフライング、引退の遠因となるほんのわずか、一寸だけの失敗をしてしまいます。このときに3号艇から「恵まれ」での優勝を飾った濱野谷憲吾選手。まさかのまさか、ここから14年以上に及ぶ苦闘の日々が始まりました。


濱野谷憲吾選手は漫画『モンキーターン』の主人公「波多野憲二」のモデル

濱野谷憲吾選手は、まさに平成の競艇界を引っ張ったアイドルレーサーと言ってしまってもいいでしょう。それくらいの黄色い声援を浴びるハンサムさで、あらゆる方面に影響を及ぼしました。

特に大きなものとして、週刊少年サンデーで連載し、全30巻まで続いて大団円を迎えた大人気漫画『モンキーターン』、その主人公である「波多野憲二」のモデルになったことが挙げられます。

名前の感じからして、濱野谷憲吾選手に強く影響を受けていることがわかります。波多野憲二の各エピソードは、植木通彦選手や今村豊選手といったほかの名選手からも受け継いでいますが、メインイメージとしての波多野憲二の根幹には、常に濱野谷憲吾選手の存在がありました。

モンキーターンはアニメ化されたのちにパチンコ・パチスロ業界にも進出。これが名機としてパチパチファンからの支持を受け、特にパチスロモンキーターンは2020年に4代目が登場するほどの人気ぶりです。


2021年の濱野谷憲吾選手はすごいぞ!

それでも、若手が次々に台頭するなかにあって、濱野谷憲吾選手の存在感は少しずつ薄れつつありました。SG競走に登場しても、優勝争いに絡めない日々が続きます。心ない競艇ファンは「ヘマをする濱野谷」で、「ヘマノヤ」と呼ぶことさえありました。

ですが、濱野谷憲吾選手はそのレーススタイルの魅力を損なうことなく、同時に整備技術に円熟味を帯びてきていました。捲土重来のときを信じて、一心に自分の腕を磨き続けていたのです。

そして、2021年。令和3年、なおも新型コロナウイルス(COVID-19)の流行が続き、日本列島が閉塞感に覆われるなか、発奮するかのように濱野谷憲吾選手の覚醒のときが訪れました。


2021年3月・第6回ライブキャッチ杯(唐津競艇一般)優勝

2007年の恵まれSG制覇以降も、年に4~5回は優勝を勝ち取っていた濱野谷憲吾選手。2018年にはG1競走を2つ制したものの、2019年と2020年は一般戦のみの優勝に留まっていました。2021年の発進も唐津の一般戦である第6回ライブキャッチ杯からです。

この事実をさらっと流したファンも多かったかもしれません。ですが、これはかなり大きな意味を持ちました。濱野谷憲吾選手にとって、唐津は「なかなか勝てないコース」でした。6回優出しながらも優勝できていなかった水面だったのです。

しかし、これで23場目の制覇。残るはボートレース若松のみで、全24場制覇にリーチをかける貴重な優勝でした。この勝利が、濱野谷憲吾選手のなかでひとつのトリガーになったのかもしれません。


2021年4月・ダイヤモンドカップ2021(大村競艇G1)優勝

3月に第6回ライブキャッチ杯を制した翌月、大村の施設改善記念競走であるダイヤモンドカップ2021(大村競艇G1)にあっせんを受けた濱野谷憲吾選手。発祥地ナイターのもと、春の夜の決戦となったこの開催で、濱野谷憲吾選手は4日間で11142と成績をまとめ、予選を1位で通過します。

大村は絶対的にインが有利。しかし、相手も超強力です。準優勝戦では、峰竜太選手や下條雄太郎選手といった面々が襲いかかってきました。それをコンマ08のトップスタートで退け、見事に優勝戦も1号艇をゲットします。

すべてが上手く回っている。何もかもが決まっている。そう、オール・オーケー。不安はゼロという仕上がり。優勝戦もまたコンマ07のドンピシャスタートで、後続を寄せ付けずにイン逃げ優勝を果たします。2号艇の篠崎仁志選手も、4号艇の柳沢一選手も、ここまで完璧なイン逃げを相手にしては何もできないといった競走でした。

かくして、2018年10月の高松宮記念2018(住之江競艇G1)以来のG1勝利、通算で22回目のG1優勝を飾った濱野谷憲吾選手。ここで、ファンは予感を抱きました。もしかしたら、もしかするのではないか、と。


2021年7月・オーシャンカップ2021(芦屋競艇SG)優勝

その瞬間は、決定的に訪れました。夏の熱戦、SG競走オーシャンカップ。海の日の創設を記念して作られたこの若いSG競走において、濱野谷憲吾選手は非の打ち所がない競走を連発します。初日から4日目までオール2連対。1着3つに2着3つ。文句なしの予選1位通過でした。その強さからは、とても「ここ一番で弱い東都のエース」の面影など感じられません。

迎えた5日目、第12Rの準優勝戦。当然の最上級レベルのSG競走。2号艇には山口の白井英治選手。3号艇には愛知の平本真之選手。さらに、女子選手ながらに準優4号艇を勝ち取った岡山の守屋美穂選手。加えて、徳島の田村隆信選手に広島の山口剛選手。これら豪華メンバーを相手に、濱野谷憲吾選手は堂々たるコンマ08スタート。コンマ06トップスタートの平本真之選手を振り切り、1着を勝ち取りました。

予選1位、準優勝戦も1位。となれば、優勝戦はもちろん1号艇が回ってきます。馬場貴也選手、瓜生正義選手、篠崎元志選手、峰竜太選手、平本真之選手。濱野谷選手を含め、見事にSGのタイトルホルダーがそろいました。最も恐れるべきは、地元福岡支部の瓜生正義選手と篠崎元志選手だったでしょう。

ファンは心配していました。もう14年もSGを勝っていない濱野谷憲吾選手。プレッシャーは相当なもののはずです。かつてのハンサムボーイは、今やナイスミドルに。選手番号は最も古い並びになりました。今や古豪として、久しぶりの勝利を目指す存在です。

ですが、濱野谷憲吾選手は、やり遂げました。コンマ15は安全なスタートのように見えるでしょうか。いいえ、これはスリットのなかでトップスタートでした。向かい風5m、波高5cmというバッドコンディションを考えれば、よくぞ攻めたというスタートです。

ただ、安心できません。ホーム向かい風はイン不利、アウトの全速戦に有利です。それでも、それでもです。濱野谷憲吾選手は1周目1マークまで完璧に回りました。1周目2マークで2番手以降が接戦になったことで、イン逃げは盤石。しっかりと周回し、濱野谷憲吾選手は14年4ヶ月ぶりのSG競走制覇、通算5回目のSG優勝を成し遂げました。この数字、なんと歴代3番目の「最長ブランク記録」です。

面白いつながりとして、オーシャンカップの優勝戦が実施された7月25日は、先の項目で挙げた漫画『モンキーターン』の主人公、波多野憲二の誕生日に設定された日でした。

そして、興味深い事実として、濱野谷憲吾選手はボートレース芦屋で4回優出し、そのたびにすべて優勝を勝ち取るという記録を継続した形になったのです。


2021年は最後まで濱野谷憲吾選手から目が離せない

濱野谷憲吾選手はその後の開催でも好調をキープし、各競走で優出を重ねました。その結果、2021年9月には2010年以来11年ぶりとなる年間獲得賞金1億円の大台を突破しています。

2021年9月下旬現在においては、賞金ランキング第2位につけています。年末のボートレースグランプリ出場どころか、トライアル2ndから登場の選抜メンバー6名枠に入る道筋も見えてきました。現状、1億円を突破しているのは1位の峰竜太選手、2位の濱野谷憲吾選手、3位の原田幸哉選手のみです。

これからボートレースダービー2021(平和島競艇SG)、そしてチャレンジカップ2021(多摩川競艇SG)と2つのSGに加え、複数のG1競走が待っています。まだまだ予断を許さないものの、今年の濱野谷憲吾選手であれば、さらなる活躍で賞金を積み重ねる可能性が十分にあるでしょう。

「若い間はすごかったんだけどね」などとは言わせない、「アラフィフイケオジ」となった東都のエース。年月を経てなおも衰えることのない素敵なスマイルに、熟練の度合いを増した操縦技術と整備技術が、令和を迎えた日本において、さらに多くのファンを虜にしています。

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