【祝・YD2022制覇】近江翔吾選手はドラマに満ちている!香川支部の俊英のプロフィール・師匠・年齢などを総まとめ

香川の近江翔吾選手について、皆様はどれだけのことをご存じでしょうか。先日の「ヤングダービー2022(多摩川競艇PG1)」で初めて知った方もいれば、ルーキーシリーズやその他の開催で活躍を見ていた方もいるでしょう。

もしかしたら、デビューからずっと追いかけている、熱心なファンの方もいらっしゃるかもしれませんね。

近江という名前だけど、香川の所属。でも、本当は大阪の生まれ。師匠は誰か、どんな活躍をしているのか。この記事では、今まさに売り出し中のレーサーである近江翔吾選手について、きっちり知っていただける内容を取りそろえました。

目次


近江翔吾選手が「ヤングダービー2022(多摩川競艇PG1)」をラストチャンスで制覇!

近江翔吾選手の名前は、2022年9月にボートレース界に響き渡りました。ボートレース多摩川で開催された若手選手のナンバーワン決定戦、ヤングダービーを制したためです。

開催当月に満30歳になる選手までが出場できるヤングダービー。1993年2月18日生まれの近江選手にとっては今回がラストチャンスであり、その機会に見事に勝ちきったことになります。

彼には大きな追い風がありました。なんと、当時の多摩川のエースモーターである22号機を引き当てたのです。2連対率65.69%、3連対率78.43%という紛れもない「お化けモーター」は、デビューから13年目の秋に訪れた幸運そのものでした。

しかしながら、モーターの性能だけで勝てるほど、ボートレースは甘くありません。自分のレーススタイルや当日の天候にあうように調整し、何よりレース本番で存分に乗りこなさなければ、宝の持ち腐れになってしまいます。

その意味において、近江選手は幸運の女神の前髪を逃しませんでした。G1初制覇。震えるような響きにも耐え、究極の舞台で偉業を達成した事実は、彼が真に一流のレーサーとなったことを教えてくれます。


眠れない夜もあった!近江翔吾選手の悲願のG1初制覇はこうして生まれた

第9回のヤングダービー王となった近江翔吾選手。予選トップ通過、準優勝戦1着、そして優勝戦も1号艇1コースからコンマ05のトップスタート。1周目1マークのターンがやや流れたものの、22号機のパワーはミスを打ち消し、優勝のゴールへと導きました。

29歳にして待望のG1初制覇を果たした近江選手は、優勝戦を控えた前日の夜、あまりのプレッシャーで緊張しすぎて眠れなかったと言います。「大事に回らないと」という思いが高じて、レース本番では「0点」と自己評価をくだしたターンになってしまったとのこと。

それでも、レース全体から見れば丁寧にまとめ、1号艇とエースモーターの利を生かし、優勝戦でも逃げ切り勝利を収めました。喜びもひとしおであろうことは、想像に難くないでしょう。


近江翔吾選手はどんな人?プロフィールを紐解く

ボートレース関係者や専門記者から「イケメン」と呼ばれることも多い、近江翔吾選手。腕は一流、容姿は淡麗と、まさにスターの資質を備えているレーサーです。

中学2年のころに愛媛へ引っ越し、その時に隣県香川のボートレース丸亀を訪れる機会がありました。これこそ、競艇(ボートレース)との運命の出会いだったのです。

「自分も乗ってみたい」と思うが早いか、近江選手はジムに通って本格的に体を鍛え始めました。競艇選手になるという目標へ向かって一直線。高校進学の選択肢も完全に消し去り、やまと競艇学校(現在は「ボートレーサー養成所」)に志願できる年齢になるや否や、さっそく試験に挑戦します。

とはいえ、やまと競艇学校は超難関なことで知られています。一生で5回まで挑戦できますが、後の名選手であっても複数回落ちたエピソードに事欠きません。近江選手もまた1回落ち2回落ち、それでもアルバイトで生活費を稼ぎながら鍛錬を重ね、3度目のチャレンジでついに合格を勝ち取りました。

この一事をもってしても、近江選手がただならぬ精神力と負けん気を持っていることがわかります。スポーツマンにとって不可欠な資質が、若くして彼のなかでメラメラと燃えていた。そう感じ取れるエピソードです。


近江翔吾選手は大阪生まれで香川支部の所属!師匠は河上哲也選手で森高一真選手にも教えを請う

かくて、競艇学校の107期生として、2010年11月27日にデビューすることになった近江選手。大阪府阿倍野区で生まれた彼ですが、競艇との鮮烈な出会いを果たした丸亀への思い入れが強いことから、香川支部所属の選手になりました。

特に、当時の観戦で印象に残ったのが、今なお稀代のアウト屋として戦い続ける東京の阿波勝哉選手だったと言います。阿波選手が6コースから大まくりで他の5艇をぶち抜く姿は、今なおファンを熱狂させる魅力に満ちています。そして、近江翔吾少年もまたそのシーンを見て、「競艇ってすごい」と惚れに惚れたのでした。

近江選手の師匠は、香川支部の河上哲也選手です。1971年生まれの河上選手からすれば、近江選手は22歳年下になるので、息子ほども年が離れた弟子にあたります。そんな若き弟子がプレミアムG1を制するまでに成長したことは、どれだけの喜びでしょうか。

また、近江選手は、他の香川支部の先輩からも貴重な助言をもらって成長しました。特に、同支部の森高一真選手は兄貴分のような存在で、時として「若いヤツが盛り上げんと香川支部は強くならん!」とたっぷり説諭も受けているとのことです。

実は、近江選手の競艇学校時代の成績は、かなり悪いものでした。やまとリーグでの勝率は4.33。きらびやかな期待のルーキーたちに比べて、「大丈夫だろうか」と心配される側の存在だったわけです。

しかし、頼りになる香川の先輩や同輩の選手たち、無論にして近江選手自身の努力もあって、デビュー4年目にはA級レーサーになるほどの急成長を見せました。こうした「変身」のエピソードは、どんなスポーツでも興奮と感動を届けてくれます。


2022年は飛躍の年!近江翔吾選手の勝ちっぷりがすばらしい

これまでに述べたとおり、近江翔吾選手は2022年9月に「ヤングダービー2022(多摩川競艇PG1)」で優勝し、G1初制覇を達成しました。

G1競走に初めて出走したのは、「四国地区選手権2014(丸亀競艇G1)」でのこと。5号艇5コースから2着と、鮮烈なG1デビューを見せつけてから8年、ついに頂点にまで手が届きました。

ただ、少々お待ちください。近江選手の活躍は、ヤングダービーの制覇だけにとどまりません。むしろ、2022年は紛れもないキャリアハイの年であり、彼が間違いなく「グレードレースでも上位争いを日常にできる」存在であると証明してくれています。

近江選手が持つ年間優勝の最多記録は、2019年の3回でした。ただし、「2021年までは」という注釈が必要でしょう。

今年、2022年は、個人レコードの更新イヤーになりました。なんと11月中旬現在までに、5つもの開催で優勝。なお驚くべきことに、そこには9月のヤングダービーを含むのみならず、その誉れを力に変えて、10月に2つの開催で立て続けに優勝を飾ったのです。

優勝したのは、「公営レーシングプレスカップ(大村競艇一般)」と「第7回加藤峻二杯・第56回日刊スポーツ杯(戸田競艇一般)」の2つ。開催地は西と東に大きく分かれ、さらにはホーム水面でもないロケーションでの威厳ある走りです。

「成功体験は人間を大きく育てる」と語られますが、実際に近江選手のなかに確たる自信が生まれたことで、劇的なブレイクスルーを果たしたのかもしれません。

2022年から2023年へ、そして、さらなる未来まで通して、近江翔吾選手の「歴史」が刻まれていく。その様が、今から目に浮かびます。


近江翔吾選手を知ればボートレースがさらに楽しい!

ボートレースは、人と舟が織りなすドラマです。そこには選手がいて、それを取り巻く人々がいて、熱烈に沸き立つファンもおり、究極的には天気や季節といった天象ですらも舞台装置になりえます。

これら雄大なエンタテインメントの中心にいるのが、約1,600名のプロフェッショナルのなかでも傑出した名選手たちです。近江翔吾選手は、まさしくその仲間入りを果たしつつあると言えるでしょう。

近江選手を深く知ることで、さらにボートレースが楽しくなる。このように言い切ってしまってもいいほどに、今後ますます彼の影響力は大きくなっていくはずです。ぜひ近江選手を応援し、ボートレースを愛していきましょう。その高まりはプラスの循環となって、選手たちと私たちとのあいだでめぐり続けるのです。


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