【伝説】ボートレース(競艇)の貴公子・山崎智也選手が電撃引退!その理由とは?

山崎智也
山崎智也

山崎智也選手、電撃引退。2022年のボートレース界に衝撃が走るニュースとして、これ以上のものを探すのは難しいかもしれません。しかし、これは良い知らせと捉えたいものです。なぜなら、彼は自らの判断によって、引き際を見定めたのですから。

まだ事の顛末について多くを知らないボートレースファンの方、ひいては「競艇」のころから同選手のファンだった方も多いでしょう。

よって、当記事では山崎智也選手の引退理由について、本人がその口から語った内容を中心にまとめるとともに、その偉大なる活躍の歴史をお伝えしていきます。

目次


山崎智也選手はなぜ「艇界の貴公子」たりえたのか

山崎智也選手。登録番号3622。群馬県邑楽郡邑楽町出身で、群馬支部に所属する超一流ボートレーサー。妻もまた元女子ボートレーサーにして、圧倒的な存在だった横西奏恵選手です。

甘いマスクで若い頃から熱狂的なファンが多くおり、東京支部の濱野谷憲吾選手ともども、人気競艇漫画『モンキーターン』のメインキャラクターのモデルとなりました。2人が令和に至るまでトップレーサーであり続けられたことは、それだけでもすばらしい事実です。

そして、これからも活躍が嘱望されていたなかでの、電撃的な引退でした。奇しくも配偶者である横西奏恵選手がそうだったように、山崎智也選手もまた突然に現役生活を終えることになったのです。

あるいは、それもまた「艇界の貴公子」と呼ばれ、加えて「艇界最強の夫婦」の夫として選んだ、ふさわしい幕切れだったのかもしれません。

いずれにしても、怪我や不祥事によって引退するわけではない、ポジティブな形で表舞台を去る決断ができたのは、ファンとしても好意的に受け止めるべき要素といえるでしょう。


山崎智也選手の主な戦績

山崎智也選手の戦績は、競艇の、ならびにボートレースの歴史に残る偉大なものです。「人気と実力を兼ね備えていた」というお決まりの表現が陳腐に思えるほど、その技術は多くの名場面を作り出してきました。

単純な数字を並べてみましょう。SG競走への優出39回、優勝11回。G1競走への優出110回、優勝31回。すべてのグレードを含めた優勝回数は89回で、徳山と若松以外の22のボートレース場における優勝経験あり。最多は地元水面である桐生の28回。

初めてのSG制覇は1997年で、なんと24歳という劇的な若さでの達成となりました。これだけでも、その非凡さがわかろうものです。24歳といえば、ルーキーシリーズでも苦しむ選手が多いというのに、最高峰たるSGを勝ち取ったわけですから。

それは「全日本選手権1997(唐津競艇SG)」であり、翌年の1998年には早くも「笹川賞1998(桐生競艇SG)」にて地元SG制覇を達成しました。さらに、同年には「赤城雷神杯1998(桐生競艇G1)」にて、ホームの周年競走において初G1制覇を達成。グレード的にいえば、順番があべこべでの優勝となりました。

【SG優勝11回の内訳】
◎ 全日本選手権1997(唐津競艇SG)
◎ 笹川賞1998(桐生競艇SG)
◎ 全日本選手権2003(戸田競艇SG)
◎ 笹川賞2006(戸田競艇SG)
◎ 賞金王決定戦シリーズ2007(福岡競艇SG)
◎ 賞金王決定戦シリーズ2010(住之江競艇SG)
◎ 賞金王決定戦2012(住之江競艇SG)
◎ ボートレースオールスター2015(大村競艇SG)
◎ グランドチャンピオン2015(宮島競艇SG)
◎ ボートレースグランプリ2015(住之江競艇SG)
◎ グランドチャンピオン2016(蒲郡競艇SG)


山崎智也選手はなぜ突然引退を決断した?

群馬支部の顔として、2022年も戦い続けていた山崎智也選手。ですが、2022年4月13日に選手登録消除申請書を日本モーターボート競走会に提出し、これが受理されたことで、現役を退くことが確定しました。

かくも偉大な選手の、かくも突然の幕切れ。いったいなぜ、これほど突然に引退を決断したのでしょう。実は、その気持ち自体は、すでに何年も前から芽生えていたものでした。


SGを優勝しても嬉しくなくなった

山崎選手は、近年ボートレース関連で精力的に活動するパチスロライターのういちさんのYouTubeにゲスト出演し、その引退理由を語りました。

「仕事はずっと楽しみながらやってきた」
「だが、最近は勝つことに対して『楽しい』という気持ちが薄れてきた」

あまりにも重い、プロとして命をかけて最前線に立つ人間、かつ頂点に立ったことのある山崎智也選手の言葉でした。

そうした闘争心や喜びが消えたのは、2016年のグランドチャンピオン優勝の時だったと言います。家に帰っても、SG制覇の喜びが湧き上がってこない。楽しくもない。あまりのことに、山崎選手はパートナーの横西奏恵選手に言いました。

「たぶん、俺は終わりになる」

向上心がなくなること。戦うための理由がなくなること。プロとしては致命的であり、トップレーサーである山崎智也選手にとっては、誰よりも辛いものとしてわかっていたのでしょう。


モチベーションの低下からついに決断

まるで枯れた木からハラハラと葉が散るように、山崎智也選手のモチベーションは戻ってきませんでした。SG制覇も彼が自らの異変を悟った「グランドチャンピオン2016(蒲郡競艇SG)」が最後となり、ほかのレースでも精彩を欠く場面が見られるようになってきます。

昔からのファンほど、山崎智也選手のこうした状況にやきもきしていましたが、何より山崎選手本人が苦しんでいたことが、今となって明らかになりました。

それでも2017年から2021年までSG出場の切符は掴み取っており、準優勝戦にも複数回コマを進めています。トップレーサーだからこその地力の高さが、山崎選手を水面から逃しませんでした。

山崎選手もまた、自らの中に戦い続ける答えを探しますが、それはもはや永遠に失われてしまったものでした。SG制覇11回、うちグランプリ(賞金王決定戦)2回を含む大選手は、突然に「生きる目標」を失ってしまったかのようでした。

偉大な人格ゆえに、苦しみの沼であがきました。「ボートレースオールスター2022(宮島競艇SG)」にもファン投票によって選出され、「そこまでは戦いたい」「せめてオールスターまでは走って、ファンの声に頑張って応えたい」と。

しかし、やる気が完全に枯渇してしまい、山崎選手はついに気づきを得ました。

「今の俺は、1秒たりとも走っちゃダメだ。オールスターを走ってはいけない人間なんだ」

あまりにも苦しく、悲しい決断だったでしょう。それほどにファンを思うからこそ、今の自分の体たらくに嫌気が差していて、迷い続けていたことを、配信において切々と吐露しました。

「子どもにかっこいい姿を見せられない。お父さん失格なんじゃないかな」と懊悩した山崎智也選手。ですが、その苦しみのな中でもがき続けてきた事実が明るみに出た時、ファンは彼を温かく送り出しました。


歴史に残る永遠の貴公子

山崎智也選手の生涯獲得賞金は、25億9690万2205円です。これは2022年4月段階において、歴代3位の記録でした。2位は先年に引退した「艇界のプリンス」「ミスター競艇」こと今村豊選手。1位は今なお「王者」として水面で戦う松井繁選手です。

「かっこいいだけではない。強かったんだ」

後のボートレースファンに、そう語り継げる艇界の貴公子。それが山崎智也選手であり、最後まで自らにプライドを持って戦うことを義務付けた、高潔な人物でした。異名に違わぬ、見事なものであったといえるでしょう。

横西奏恵選手との間には子どもがおり、また、横西選手が前の配偶者との間に作った継子もいます。彼女たちには、きっと山崎智也選手の「覚悟」と「引き際」が、永遠に刻まれたことでしょう。

このうち、継子のほうは名前を「山崎小葉音(やまざき・こはね)」といいます。彼女は今、群馬支部の女子ボートレーサーとして、過酷なボートレースの世界で懸命に戦っています。
2000年10月7日生まれ。2022年5月現在ではまだ21歳の、フレッシュな才能です。

「これからは見るとしても、娘のレースを見るくらいかな」

山崎智也選手は、そのようにコメントを残しました。たとえボートから距離を置くにしても、また血がつながっていなくても、小葉音選手が大切な娘であるという心を示しているかのようです。

最近はゲームアプリ『ウマ娘』で遊んでいるという山崎選手。「ウマ娘からオファーがあったらいいな」と語っているとおり、今後はボートレース以でにも、競馬やその関連コンテンツで姿を見る機会が増えてくるかもしれません。


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